
気のもちよう
ある時を境に「怒る」と言う感情が薄れてきた。
自分の思い通りに事が運ばないとイライラして当たり散らしていた時期があった。反抗期とも違うが、仕事とプライベートの完全二重人格ぶりが顕著な時があった。
ある本と出会ったのがきっかけかもしれない。
「こうしなければいけない」と言う正義が増えるたび
人は窮屈になっていく。こうしなければ…から外れたものを悪と捉え攻撃してしまったり、外れた自分をせめてみたり…。
でも本当にそうだろうか?
自分の正義のモノサシは自分の中にある。
そう思い始めてから 自分と違う認識や捉え方にも腹が立たなくなった
人付き合いも相手に過度の期待を 勝手にするから
裏切られた。見損なった…となるのだ
そんな事を全部取っ払ってから 生きるのが楽になった気がするのだ
喧嘩していいことなど何もない。
後味の悪さ、空気の悪さ、何も残らないのだ
時に言いにくいことを言わなければいけない時もある
でも言い方を変えてみる
刺すようなトゲはいらないのだ
起こる全ての出来事の原因は自分にある。
そう思ってから 考え方の変換をした
全ては「気の持ちよう」なのだ